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君のため生きようか

KinKi Kidsが熱いジャニオタの日記です。適当に書いてますんで適当に読んで適当にしといてください。

今更、SMAPの話

なんかHOTな時期にこれを書く勇気がなかったので、彼らの話題が一度落ち着いた今、SMAPのことを書いてみたい。

まあ一言で言えば、私が一番最初に好きになったジャニーズはSMAPだ。お金もろくに持っていないし、ネットもよく分からない小・中学生時代は熱心なSMAPの茶の間ファンだった。あれから、色んなグループ担を経て、SMAPと繋がりがあるキンキを追っかけるようになったりして、そして20歳を迎えた今、ようやくあの5人の本当の凄さが分かってきた気がする。

大学生になってバイトを始めたり、幅広い世代と関わるようになって知ったことだが、世の中って「ジャニオタじゃない人間」の方が圧倒的に多い。(当たり前だ)でも、中学も高校もあまりに狭い世界で、同じような趣味を持った集団で過ごしていると、案外これに気がつかないのだ。ジャニーズの顔の見分けがつかない、嵐が5人分からない、みたいな人って、案外普通にいる。それでも皆、SMAPだけは知っている。

最近、「学校の授業プリントにジャニーズが……!!」みたいなツイートをよく見かけるけど、塾講師をやってる私の体感だとジャニーズではSMAPを題材にする教員が圧倒的に多い。教員の世代もあるだろうけど、それでも英文法のワークの一環で「SMAP5人の顔を書いてみよう」みたいな指示が出て、ジャニオタでもなんでもない中学生が当たり前のようにイラストを5つ書いている事実には、敵わないな、と思わざるおえない。

スマスマの最終回が放映されたあの日、私のジャニ垢のTLは凄かった。でも同じくらい、リア垢のTLも凄かった。ジャニ垢とは違い、たった1夜の出来事だが、それでもジャニオタでもなんでもない多くの大学生がSMAPに想いを馳せていた。他グループの誰かが熱愛したり、脱退しても、何も言わなかった人達が。バイト先の上司にいたっては、過去のスマスマ動画を見漁ったと言っていた。こらも、たった一夜の出来事だろうが。

結局、ジャニーズってファンにとってはそれなしには生きていけない大きな存在だけど、そりゃ興味ない人の方が多いし、どうでもいいと思っている人の方が多いのだ。だけど、そんな人達にもSMAPは周知されている。その凄さに、私はようやく気がついた。国民的アイドルって、皆から好かれるアイドルじゃない。皆が知っているアイドルのことなのだ。そんなことを皮肉にも、今回の騒動に私は教えてもらった気がする。

SMAPが解散して、もう3ヶ月が経とうとしている。「なんで」なんて思わない。派閥とか裏の事情よりも、私はずっと、悲しい、悲しい、悲しい、寂しい。そんな思いばかりある。だけどそれは、きっと私がスマオタで、ジャニオタだから。きっと大抵の人はもう、何とも思っていない。だけど、「SMAP」と聞けばば当たり前のようにあの5人の顔を思い浮かべる。それだけで凄いし、敵わないと思うのだ。

「尊い」と「相方」の話

私がKinKi Kidsのファンになって驚いたことの1つに、「キンキファンめっちゃ“尊い”多用するやん」「TLが“尊い”だらけやん」というのがある。

でも程なくして私も、彼らと同様に“尊い”を多用する「尊い芸人」の1人になってしまう。不思議なもので、ファン歴を重ねれば重ねるほど自担を客観的に見ることは出来なくなる。ふとTLを辿れば過去の自分ののツイートは今よりも偏差値が高い。しかしキンキに出会って2年が経つ現在、ありとあらゆる語彙力は奪われ、結果鳴き声のように「尊い」を繰り返す生き物になってしまった。(長年ファンをやっている方でも表現力に富んだツイートをされる方は大勢いるので、単に私の脳みそが残念であっただけという見方もある。)

そもそも、彼らの関係性の何が尊いのか、何に惹かれているのかを考えたところ、単純に「憧れ」に似た感情が強いと思う。12歳の硝子の少年時代から38歳のオッサンになるまでずっと人生を共にしてきた人がいるということが、ただただ羨ましい。自分の人生を預け、預かってくれる相方がいることが羨ましい。「相方」がいることが羨ましい。の、かもしれない。

というのも、私はネガティブな人間で、友達付き合いにおいて「親友」という言葉を使うことすら抵抗がある。相手はそんな風に思っていないのでは、とか何とか考えて、人との関係に何か名前をつける作業が苦手なのだ。よく女の子が数人の仲良しグループに「◯◯組」なんて名前をつけたりするが、それも自ら率先して行ったことはない。でも名前がつくと嬉しい。(ありとあらゆる付き合いにグループ名をつけてSNSに投稿する女の子を影で“ジャニー”と呼んでいたりする。)同様の理由で、LINEグループも自分で作れない。

そんな風に私はこれまで、ネガティブなばかりに安定した関係性を避けるように生きてきて、そうしてフワフワした関係しか持たない自分により一層ネガティブになったりする。

だから、KinKi Kidsのお互いを唯一無二として扱う関係性にとても憧れるし、揺るぎない「相方」呼びに心惹かれる。もちろん、光一くんが言うように、出会って25年付き合う中で、彼らにしか分からない「何かしら」はあって、案外スリリングな状態で続いてきた部分はあると思う。それでも、もしものことがあったとしても、「元相方」はお互いしかいないんでしょう?それだって凄いことじゃないか。

絶対的で唯一無二な関係に、それを背負って生きる彼らに憧れる。それって凄いことなんだぞ!と教えたくなる。いっそパイでも投げつけてやりたい。もちろん相方がいるからこその苦労もあるのだろうけど。

相方がいて、それがずっと続いている、そんな2人に強烈な憧れを感じて、時には「いいなぁ」とほっこりして、「尊い」という鳴き声は生まれ出ているのかもしれない。

……つまり何が言いたいのかというと、要は語彙力が足りないのかもしれない。

数年来にブログを始めた話

はてなブログのスタイリッシュさは異常……
なんか凄い頭いい人がやるイメージ……

そう思ってモンキー並みの頭脳しか持ち合わせていない私は敬遠していたのだがついに始めてしまったのはきっと春休みマジックのせいである。

「暇通り過ぎて辛くなってきた」いつかの二宮和也の言葉通りの阿呆みたいに長い大学2年の春休みを過ごしていたら、気がつけばスタイリッシュなブログに手を出していた。春休みって罪深い。

実はブログ全盛期だった小学生の頃、私は熱心なブロガーだった。毎日のように記事を更新して、書くネタがない日は「今日はネタがありませんでした、ごめんなさい」という記事を更新するほどマメだった。今思えばアレはいらなかった。
そしてネタがあるという日も、家族のことやら友達のこと等、恐ろしく身内ネタが多かった。誰がどういう目的で読んでいたのか未だに分からない。だけど記事には何かしらのコメントが届いていた。小学生のくだらない日記を呼んでくれている人は少なからずいた。誰だよ。(今更)

そういえば、いつもコメントをくれる物好きな人の1人に、「クラウンフィッシュ」さんという人がいた。当時私はカクレクマノミを2匹飼っていて、ちなみにクラウンフィッシュはカクレクマノミの別名だった。だから私はいつもコメントをくれる優しいクラウンフィッシュさんの正体はペットのクマノミではないかと疑い、ブログに記事を投稿した後はなんとなくクマノミの水槽に手を振っていたりした。この辺が最高にモンキー頭脳である。

クマノミに人格を見出していた小学生の頃の私には残念な知らせだが、20歳の私も未だにモンキーだ。今もコップに注いだジュースの分量を巡って中学生の弟とマジ喧嘩している最中だ。成長なんてものはない。

そんで、小学生の私にもう一つ伝えたいことがあるとすれば、17の冬にKinKi Kidsにハマるということ。多分あなたは今、彼らの存在さえ認識していないかもしれないけれど。クラスにいる嵐ファンにSMAPの切り抜きを恵んでもらう生活をしているかもしれないけれど。KAT-TUNの曲をクラスで合奏しているかもしれないけれど。それでも、KinKi Kidsにハマる。そして20歳になった今も尚、熱は冷めない。

そして最後に、小学生の私へ。キンキファンの春休みは、SHOCK観劇前後1週間は夢心地で、高杉剛の美しさを消化するのに2週間は費やすぞ。最高に暇だが、最高に忙しいので覚悟するんだな。