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君のため生きようか

KinKi Kidsが熱いジャニオタの日記です。適当に書いてますんで適当に読んで適当にしといてください。

「尊い」と「相方」の話

私がKinKi Kidsのファンになって驚いたことの1つに、「キンキファンめっちゃ“尊い”多用するやん」「TLが“尊い”だらけやん」というのがある。

でも程なくして私も、彼らと同様に“尊い”を多用する「尊い芸人」の1人になってしまう。不思議なもので、ファン歴を重ねれば重ねるほど自担を客観的に見ることは出来なくなる。ふとTLを辿れば過去の自分ののツイートは今よりも偏差値が高い。しかしキンキに出会って2年が経つ現在、ありとあらゆる語彙力は奪われ、結果鳴き声のように「尊い」を繰り返す生き物になってしまった。(長年ファンをやっている方でも表現力に富んだツイートをされる方は大勢いるので、単に私の脳みそが残念であっただけという見方もある。)

そもそも、彼らの関係性の何が尊いのか、何に惹かれているのかを考えたところ、単純に「憧れ」に似た感情が強いと思う。12歳の硝子の少年時代から38歳のオッサンになるまでずっと人生を共にしてきた人がいるということが、ただただ羨ましい。自分の人生を預け、預かってくれる相方がいることが羨ましい。「相方」がいることが羨ましい。の、かもしれない。

というのも、私はネガティブな人間で、友達付き合いにおいて「親友」という言葉を使うことすら抵抗がある。相手はそんな風に思っていないのでは、とか何とか考えて、人との関係に何か名前をつける作業が苦手なのだ。よく女の子が数人の仲良しグループに「◯◯組」なんて名前をつけたりするが、それも自ら率先して行ったことはない。でも名前がつくと嬉しい。(ありとあらゆる付き合いにグループ名をつけてSNSに投稿する女の子を影で“ジャニー”と呼んでいたりする。)同様の理由で、LINEグループも自分で作れない。

そんな風に私はこれまで、ネガティブなばかりに安定した関係性を避けるように生きてきて、そうしてフワフワした関係しか持たない自分により一層ネガティブになったりする。

だから、KinKi Kidsのお互いを唯一無二として扱う関係性にとても憧れるし、揺るぎない「相方」呼びに心惹かれる。もちろん、光一くんが言うように、出会って25年付き合う中で、彼らにしか分からない「何かしら」はあって、案外スリリングな状態で続いてきた部分はあると思う。それでも、もしものことがあったとしても、「元相方」はお互いしかいないんでしょう?それだって凄いことじゃないか。

絶対的で唯一無二な関係に、それを背負って生きる彼らに憧れる。それって凄いことなんだぞ!と教えたくなる。いっそパイでも投げつけてやりたい。もちろん相方がいるからこその苦労もあるのだろうけど。

相方がいて、それがずっと続いている、そんな2人に強烈な憧れを感じて、時には「いいなぁ」とほっこりして、「尊い」という鳴き声は生まれ出ているのかもしれない。

……つまり何が言いたいのかというと、要は語彙力が足りないのかもしれない。